• コラム

2019.01.21

近代建築(モダニズム建築)の3大巨匠

アリアンスでは、普遍的なデザイン性を持ち、合理的で理論に基づいた住宅をご提案しています。

そのデザイン性や理論は近代建築の巨匠が築き上げてきた住宅を参考にしていることも少なくありません。

そこで今回は、近代建築の巨匠と呼ばれる三人をご紹介したいと思います。

近代建築の定義とは?

近代建築(きんだいけんちく、Modern Architecture)とは、産業革命以後の社会の建築のこと。ギリシャローマゴシックバロックといった過去の様式をなぞらず、機能性や合理性を重視して設計がなされている。また、ガラスコンクリートに代表される工業化された材料や、科学技術の進歩に裏付けられた構造技術を採用している。


1.ミース・ファン・デル・ローエ

1886-1969(満83歳没)
ドイツ出身の建築家
<略年譜>
1896 石工の父を手伝い、カテドラル付属学校で学ぶ
1908 ペーター・ベーレンスの事務所勤務
1912 ベルリンで独立
1914 WW1のため従軍 リヒター、リシツキーらと交流
1922 「デ・ステイル」に参加
1930 バウハウスの校長に任命される
1933 バウハウス閉鎖
1938 アメリカへ亡命 シカゴ建築学校 校長
1950 ファンズワース邸宅、施主は愛人
1969 癌で死去

ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)は、20世紀の建築界における巨匠の一人です。彼は近代主義建築の代表的な人物であり、「less is more(少ないことがより多い)」という有名なスローガンを提唱しました。

ミースは、シンプルなデザインと機能性を重視する姿勢で知られています。彼の作品は、クリーンで直線的な形状、鉄骨とガラスを使った透明な壁、そしてオープンな間取りが特徴です。彼は美しい空間を創り出すために、無駄な装飾や要素を排除しました。

その代表作として知られるのが、「バルセロナ・パビリオン」や「タワーハウス」などです。バルセロナ・パビリオンは1929年のバルセロナ国際博覧会のために建築され、ミースの建築哲学を具現化した優雅な空間となっています。タワーハウスは、高層住宅の先駆けとして注目を浴び、そのシンプルで洗練されたデザインは後の建築に多大な影響を与えました。

ミースの建築は、その洗練された美学と機能性が絶妙に融合したものであり、現代建築においてもなお高い評価を受けています。彼の作品は、美しい空間としてだけでなく、社会的な意味合いや人間の経験にも焦点を当てており、建築の可能性を広げる先駆者としての地位を築きました。

バルセロナ万博 ドイツ館 1929 1986再建 スペイン バルセロナ
引用元 wikipedia

トューゲントハット邸 1930 チェコ ブルノ
引用元 wikiipedia

ファンズワース邸 1950 イリノイ プレイノ
引用元 wikipedia


2.ル・コルビュジエ

©Centre Pompidou, Mnam-Cci, Dist. RMN-Grand Palais / Gisèle Freund, reproduction de Guy Carrard – ©RMN gestion droit d’auteur/Fonds MCC/IMEC

1887-1965(満77歳没)
スイス出身、フランスの建築家

<略年譜>

1900 時計職人を目指し地元の美術学校に入学
1904 美術装飾高等科へ進学、建築を学ぶ
1907 イタリア旅行でパラディオのヴィラに感動する
1908 ペレのアトリエ入所、RC技術を学ぶ
1910 ドイツ工作連盟を訪問 ベーレンスのアトリエ入所
1918 ピュリスム宣言
1920 「エスプリ・ヌーヴォー」創刊
1922 ピエール・ジャンヌレと建築事務所設立
1926 「近代建築の5原則」提唱
1928 CIAM開催
1930 フランス市民権取得
1952-59 チャンディーガル都市計画
1955 国立西洋美術館設計のため訪日
1965 南仏の海で死去

「住宅は住むための機械である」

コルビジェは、「明確な目的を持つ機械を賛美し、建築もそれに習うべきだ」と主張した。

1920代頃からモータリゼーション(自動車の大衆化)がはじまり、住宅と自動車を重ね合わせるような表現を使っている。サヴォア邸も自動車ありきの生活をもとに設計された。

コルビジェがここまで後世に名を残す建築家となったのは、修業時代にオーギュスト・ペレ、ヨーゼフ・ホフマン、ペーター・ベーレンスらに会っていたことが大きい。彼らの技術をまとめ吸収することで、新しい時代の建築を担う人物となっていった。

同時代の誰よりも、近代建築の類型学を練っていたといわれる。コルビジェの建築は、真白で直線的な造形スタイルが印象的だが、生涯を通してみると時代や地域によってかなり変化している。

サヴォア邸 1931 フランス ポワシー
Photo : Paul kozlowski© FLC/ADAGP

© FLC/ADAGP

引用元 wikipedia

ロンシャンの礼拝堂 1955 フランス ベルフォール近郊© FLC/ADAGP
引用元 wikipedia


3.フランク・ロイド・ライト

引用元 wikipedia

1867-1959(満91歳没)
アメリカの建築家

<略年譜>

1885 ウィスコンシン大学土木科入学、中退 シカゴに出て、L.サリヴァンの事務所で働く
1893 独立
1904 チェニー邸の施主の妻と不倫
1906 ロビー邸(有機的建築)
1909 欧州へ駆け落ち→仕事激減
1911 帰国
1912 自宅兼工房のタリアセンを設立
1913 帝国ホテル新館設計のため訪日
1914 使用人がチェニー夫人らを惨殺、放火
1943 NYグッゲンハイム美術館の設計依頼
1936 落水荘
1959 フェニックスで死去

「長く生きるほど、人生はより美しくなる」

ライトの母親は彼を建築家に育てようと教育熱心で、彼は幼いころから建築の世界に親しんで育った。大学を中退してシカゴにうつり住み、ルイス・サリヴァンの指導のもと6年間経験を積んでいる。26歳頃に独立しているが、施主の妻と不倫旅行に出掛けてスキャンダルをおこしたり、そんな性分が影響してかキャリアの浮き沈みが激しい。私生活はかなり問題のある人と伝えられている。

帝国ホテルの設計で日本との関わりがあり、日本の建築教育にも大きく貢献した人物。

旧帝国ホテル(ライト館) 1921 日本
引用元:Liena

ミラード邸 1923 カリフォルニア
©Scott Mayoral/CentralMeridian

ソロモン・R・グッゲンハイム美術館 1959 ニューヨーク マンハッタン
引用元 wikipedia